ブルースのコードの上下行を12 key全てで楽譜を見ないで出来るようになる位に練習するとコード感が身に付くのでは無いかと、1ヶ月くらい取り組んでみた。楽譜を見ないで吹けるようになった訳では無いけれども、単純な上下行には、飽きてしまった。
そこで、色々な本をめくって見て、『アメイジング・フレイジング‐トランペット インプロヴィゼイション・スキルが向上する50の方法』ATN Inc.の中のいくつかのトレーニングをやってみることにした。
この本は、ハーモニー、リズム、メロディの3つの章に分けてジャズのアドリブの為の50のパターン練習方法を紹介しているものだ。
先週からハーモニーの中の「アイディア5- ダイアトニック7thコード」に書かれているアルペジオを始めた。きれいなメロディに感じられて、吹いていて楽しい。本には一つのkeyでしか例が書かれていないので、他のkeyで吹く為には、頭の中にダイアトニックスケール、コードをしっかり思い浮かべ無ければいけない(本には、楽譜に書かないで練習せよ、と書かれている)のも、音を覚える為には良さそうだ。
http://www.shukousha.com/column/category_8/
中国の民主化についての建議書「08憲章」。その起草者の一人で昨年、中国で有罪判決を受けて獄中にいる劉暁波氏について、及川さんのこれまでの活動や考えをまとめたものだ。
及川さんは(1)で、劉暁波氏を取り上げる理由、問題意識をこう書いている。
日本でも、社会不安、労働問題、貧困問題、冤罪事件、メディアの問題など、新聞を広げれば様ざまな「人権問題」の様相が日常生活に溢れかえっており、複雑かつ困難な問題をどのように見つめるかという「態度」や「覚悟」が問われていると思う。
つまり問題の本質は、国の違いや主義主張の違いを超えたところで、誰もが考えるべき「自由」についての「問い」なのだと思う。日本と中国の政治体制の違いを「ものさし」にした一面的な批判は、時として薄っぺらな「中国批判」に陥りかねないが、そうではなく、重たい事実をひとつずつ根気よく積み重ねていくことによって、中国の現実から学ぶべきことがあるのではないだろうか。むしろ、そうした議論の中でこそ、彼を知り己を知ることができるのではないかと思う。
http://www.shukousha.com/column/oikawa_008.html
僕は20代の半ばから30代の初めに掛けて、言動が政府批判と受け止められることが命に関わる国に出張したり、移動の自由・公共の場で写真を撮る自由が制限されている国に住んだり、それらの国に駐在した人達から話を聞いたり、出張先でお客から「この建物は、共産党の施設だったんだ。今も盗聴機があるよ。」と面向かって言われたりした。自由が制限されていることの怖さを少しだけれど、肌で感じた。だから、及川さんの問題意識に僕は共感する。
及川さんの文章には、刺激的な言葉も大きな言葉も難詰する言葉も使われていない。それでいて、言わねばならないことを、しっかりと主張している。きちんきちんと思索を積みかさねている。とても魅力的な文章だ。そして、中国が自由な国になって欲しいと言う願いと期待が感じられる。
http://www.proarte.co.jp/artists_detail84.html
創立から100年を迎えた英国のロンドン交響楽団(LSO)の金管セクションの首席陣による五重奏団だ。
メンバーは
【トランペット】フィリップ・コブ Philipp Cobb ロンドン響首席、ナイジェル・ゴム Nigel Gomm、
【ホルン】デイヴィッド・パイアット David Pyatt ロンドン響首席
【トロンボーン】ダドリー・ブライト Dudley Bright ロンドン響首席
【テューバ】パトリック・ハリルド Patrick Harrild ロンドン響首席
演目は、ジェームズ・メイナード(1977-)作のファンファーレで始まった前半がマシュー・ロック作 国王陛下のサックバットとコルネットのための音楽(17世紀半ば)、ジャイルズ・ファーナビー作 組曲「空想、おもちゃ、夢」より (16世紀末または17世紀前半)、マルコム・アーノルド作 金管五重奏曲(20世紀)
20分間の休憩を挟んでの後半が、マイケル・バークレイ作 ミュージック・フロム・チョーサー(20世紀)、ジョーゼフ・ホロヴィッツ作 ミュージック・ホール組曲(20世紀)、"Brass on The Boards"- The music of Andrew Lloyd Webber arranged by Nigel GommというAndrew Lloyd Webber作曲のミュージカル曲のメドレー。僕が大好きなジーザス・クライスト・スーパースターから始まってキャッツなども入ったメドレー。後半の2曲目、3曲目はとても楽しい。
アンコールはポップス2曲。
最後のカーテンコールが終わったのがきっかり午後9時。
全体的にエンターテインと言うことを強く意識したステージだった。たとえば、後半の1曲目の出だしをテューバのパトリック・ハリルドが、間違えたら、すかさずトランペットのフィリップ・コブが、ハリルドの席に行き楽譜をめくりながら、注意、互いに確認。ハリルドはその曲が終わった後テューバを抱えて退場する素振りまでやってのけた。コブとハリルドのやりとり、一連の動きがとてもユーモラス。ミスすら、自分達を笑い飛ばすることで聴衆を笑わせて許させる。これがイギリスなんだと思った。
金管五重奏のコンサートを聴いたのは今回が初めて。トランペットって、こんなに華やかな楽器なんだと今回のコンサートを聴いて思った。
残念だったのは、文化会館小ホールの座席配列。K列より後ろで無いと前の人の頭でステージ上で座って演奏する人が見えないこと。僕の席からは、トランペットしか見えなかった。僕にとってライブ、コンサートの楽しみの一つは、目で見ることなので、楽しさ半減だった。座席配列を改修してくれないかな。資金調達がひつようだろうけれど。
・口を大きく開ける。
・口の中が広くなるように、唇を左右に少し引いて口を大きく開ける。
・赤ちゃんをあやす時のように、にっこり笑ったり、ほっぺたを片側ずつあるいは両方膨らませたり、変な顔をして顔の筋肉を弛める。
・唇をプルプルさせる。バズィングはやらない。
・軽く腿上げをしたり、屈伸をして股関節を弛める。
・首、肩、腰をそれぞれ回して、首、肩、背中を弛める。
・日によっては、あ〜と声を出して、喉を開ける。
http://www.cml-office.org/archive/?logid=487
マイナスイオングッズ、及びその他の健康グッズの売り込みを受けた際に、業者に勧められて、医療機関以外で血液サラサラの写真を撮ってもらった覚えのある方は、医師の診断を受けることをお薦めする。
とのこと。採血器具の使い回しによるC型肝炎などへの感染リスクへの注意喚起だ。C型肝炎の説明サイトへのリンクも張られている。
・楽譜から音譜を拾ってトランペットに変換するという気持ちで吹くのと、音楽を吹いているのだと言う気持ちで吹くのとでは、全く違う。
・ 聴いている人には分からないけれども、ドレミファソラシドと吹くときも音階だと思って吹くのと音楽、つまりメロディーだと思って吹くのとでは、自分の中では全く違う。
ドレミファソラシドを原さんは、音楽として吹いた場合とそうで無い場合の2度吹いてくれたが、リズム、タイミング、アーティキュレーションに変わりは無いとのことで、聴いていて違いがわからなかった。
『音楽の聴き方』(岡田暁生、中公新書)にも、演奏技術の上手下手という言葉、概念はドイツに(ヨーロッパにはなく)音楽になっているかどうかという概念、表現しかないというエピソードが出てくる。
声に出して歌ってから吹いてみたら分かるかな。誰かに聴いてもらっているつもりで吹けば良いのかな。来月のジャズトランペットのレッスンまで、音楽を吹いているつもりで音階練習などの機械的なトレーニングも行なうことについて試行錯誤してみよう。
インタビューの中でガンシユは次のような主旨のことを言っている。
・トランペットを演奏するのであってトランペットと闘っているのではない。分析して一生懸命練習することとリラックスすることのバランスが大事。
・常に自分の手が届くところに目標を置き、それを実現してくることで、ここまで来た。最初から世界一のトランペッターになろうと思っていたら、ここまでもなれなかった。
機械的な練習だけでは、音楽は出来ないし、練習自体に飽きてしまうので、練習プログラムを丁度、見直していたところだった。分析して考えながらの練習と、音楽を作る練習(例えば、鼻歌を歌って、楽譜に落として吹いてみる。細部にこだわらずに曲を吹く)のバランスをとって練習しようと思う。又、小さなゴールを設けて、一つ一つクリアして行こうと思う。
ガンシユのインタビューの他の部分もとても興味深かった。
アジアには、舞踊の際に顔だけを覆う仮面を付ける他に頭部を完全に覆うことがある。頭部を覆うものを「仮頭」(かとう)と名付けた上で、仮面と仮頭に用途、意味合いの違いはあるのか、ブータン、モンゴル、中国での仮頭を使用したチベット仏教儀式「チャム」と日本の古代に仮頭を付けて行われていた伎楽、現在も沖縄、八重山で行われているミルクとの関係はあるのかを探ると言う3年間の研究プロジェクトの中間報告会だ。この研究の動機は、また、チベット仏教がブータンとモンゴルそれぞれでどのように受容されたのかを、チャムの比較研究で明らかにしたいとのことだったそうだ。
このシンポジウムのことを知ったのは、偶然だ。僕はチャムがどういうものかは、知らなかった。上野で今月初めまで行われていた、聖地チベット展で説明らしい説明無しに展示されていた舞踊の衣装と作り物の頭を見てチベットには興味深そうな芸能があるのだなと思い、チャムと言う名称を覚えた。
わざわざブータンとモンゴルから僧侶などのチャムの舞手を招いてデモンストレーションを行なうことに惹かれて聞きに行った。
16日午前は、立教大学教授・アジア地域研究所長の上田信さんの挨拶の後、「ブータンの社会組織とチャム」(宮本万里さん、北海道大学スラブ研究センター・学術研究員)、「チャムとは‐モンゴル、ブータン、チベット、中国」(木村理子さん、東京大学・非常勤講師)、「ブータン・トンサゾンにおけるチャムの歴史」(PEMA DENUPさん、僧侶・トンサ・ツェチュ運営責任者)、「モンゴルのフレーチャムの復元について」(DAMBAJAV CHOIJILAVさん、僧侶・ダシチョイリン寺住職)と言う報告が行われた。
木村さんの報告では、ブータンにべ・チャムと呼ばれる仏教信徒の俗人により踊られるものがあるが、ブータン、モンゴル、中国のいずれの地でもチャムは、本質的には僧侶が忿怒尊=閻魔さまを顕現させ、その力を借りて行なうチベット仏教の密教修法であるとの解釈が示された。
午後2時からは、ブータンとモンゴルから招いた僧侶などによるチャムの実演比較。(1)雄牛の仮頭を用いる身体表現比較、(2)同じ神の身体表現比較(3)身体動作の比較などが、立教大学教授の細井尚子さんの司会で行われた。詳細を研究者では無い僕が書くのは控えるが、ブータンとモンゴルのチャムの違いと共通点が、とても興味深かった。宗教、しかも密教の儀式であるにもかかわらず、学術研究と日本とブータン、モンゴルの相互理解の為に来日し、デモンストレーションを行わない、質問にも誠意を持って答えていたブータンとモンゴルの方々には、本当に感謝だ。又、様々な制約の中で実現させた研究者の方々にもだ。
翌日は、午前中の報告を聞いて、上田教授が撮影してきたチベットに仏教が伝来する以前のチベットの宗教であるポン教の儀式の映像を30分ほど見てから、ヤマハにジャズトランペットのレッスンを受けに行った。レッスンが無ければ、ポン教の儀式の映像を最後まで見たかったなぁ。
17日午前の報告:
「仮頭を用いるアジアの諸芸態」(細井尚子さん)「日本の古代・中世芸能面に見る仮頭性」(竹本幹夫さん、早稲田大学教授・演劇博物館・館長)「仮頭と行道(ぎょうどう)-沖縄のミルクその他」(板谷徹 さん、沖縄県立芸術大学・教授)
司会は16日が粟屋利江さん(東京外国大学・教授)、17日は山本宏子さん(岡山大
学・教授)
フィールドワークの研究発表会を聴いたのは、今回が初めてだったが、ワクワクした。進行、時間管理もきちんとしていて、素人の僕には何の不満無くシンポジウムを聴くことが出来た。
入場の際に今回の報告予定稿と資料が綴じられた冊子をもらった。研究の最終報告が楽しみだ。
‐‐‐補足‐‐‐
ミルクとは仏教の弥勒信仰に発するもの。
モンゴルではスターリンの命令で1937年10月に始まった粛清により寺院が破壊され、チャムなどの儀式も途絶えた。1990年にモンゴルの民主化が実現。粛清以前の老僧たちが健在だったことから、チャムの復元にとりかかり、2003年にダシチョイリン寺で復元された。現在は、毎夏の最後の月の9日(モンゴル暦6月9日)にダシチョイリン寺で行われているとのこと。
1937年の粛清についてネットで見つけた記事
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/310888/
1.息の速さを変えるタイミング、舌の位置が変わる(位置を変える)タイミング、音程の変化が、カチッカチッとはまるように意識する。神経質にならなくても、練習を続けていれば、自然にカチッカチッとはまるようになる。
2.リップスラー自体を目的としない。あくまで曲を吹けるようになることが目的。
3.リップスラーは、自分の調子を取り戻したり、調子を見る為に行なう。
4.従って、何も考えずに楽にリップスラーを行なうように、段々と普段の練習を切り替える。一つ一つの音程をはっきり出さなければならない音階練習と違ってリップスラーは、一番力が要らず考えずに出来る練習。