2007年1月、40代半ばにゼロからトランペットと音楽をやり直し


by YTR3320
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

『科学との正しい付き合い方ー疑うことからはじめよう』

 『科学との正しい付き合い方ー疑うことからはじめよう』(内田麻理香、ディカヴァー・トゥエンティワン、2010年)を読んだ。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4887597932/kasoken-22

著者の内田さんは、日常生活、家庭の中で科学に触れることを提唱してカソウケン(家庭科学総合研究所)というサイトを運営している。http://www.kasoken.com/

 本書は副題にあるとおり、疑うこと、あれっと思ったら流してしまわないで立ち止まって「なぜだろう」と考えてみる、考え続けてみることの楽しさと大切さを訴えている。かつての共通一次大学入学試験や「酔うぞの遠めがね」で酔うぞさんが見てきた現在の高校の授業、つまり一定時間に沢山の処理を求める(処理できる数が多ければ多いほど良い点数が取れる)姿勢、システムは、あれっと言うひっかかりを立ち止まって考えてみることを許さない。本書を読みながら、そうか、立ち止まって考えてみること、考え続けてみることは、楽しいことなのだなと思った。

 本書の中に手塚治虫氏が、鉄腕アトムで描きたかったことは科学と人間のディス込みにケーションだったのに、絵からそのことを読み取ってくれた人が少なくむしろ科学の力という点だけ強調されてしまったことを嘆いていたと、エッセイ集『ガラスの地球を救えー二十一世紀の君たちへ。』の一部を以下の通り書き写している。
ロボットと人間がどんなにコミュニケーションを試みようとしても、しょせん機械と人間です。その間で仲介するアトムのような存在が必要だった。(中略)
 そいういう疎外感、哀しみといったものをビルの上に腰掛けているアトムで表したつもりなんですが、そういうところは全然注目されず、科学の力という点だけで強調されてしまった。たいへん残念でなりません。


 浦沢直樹氏の『プルートゥ』とその元になった手塚治虫氏の『地上最大のロボット』を巡って中学・高校の同級生と昨年だったか、一昨年だったか飲みながら感想を言い合ったことを思い出す。僕の同級生は『地上最大のロボット』に描かれていたアトムの哀しみ、他のロボットの心情を初めて読んだ子どもの時に強く感じたと言っていた。僕は、余白が多く情報量が少なく、幼児体型の手塚漫画への抵抗感もあって『地上最大のロボット』には、何の記憶も無く、読み返してみても友だちが感じたようなことは、僕には感じることができなかった。むしろ、書き込みが多くて、情報を拾い上げやすい『プルートゥ』の方が僕には面白かった。『科学との正しい付き合い方』を読んで、友人が手塚漫画に感動することができた理由が分かった気がした。

 手塚漫画は、なぜこの余白があるのだろう、なぜ登場人物はここにいるのだろう、このような行動を取り、台詞を言うのだろうと、読み飛ばさないで考えることを求める漫画なのだろう。あれっ、と思ったら、読み飛ばさないで、そこで立ち止まって考えることを求める。考えることで手塚氏が描きたいことがようやく見えてくる。まさに科学の態度で書かれ、読み手に科学の態度を求める漫画だったのか。
 
 さて、『科学との正しい付き合い方』は、科学を神聖視し、権威化することからは、科学の根幹である「疑う」という最初のプロセスが抜けているとし、科学を神聖視するなと説いている。科学を神聖視し、権威化してしまうことは、疑似科学と裏腹だ。この辺りの指摘は大事だと思う。
[PR]
by YTR3320 | 2010-10-11 09:28