2007年1月、40代半ばにゼロからトランペットと音楽をやり直し


by YTR3320
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29年目の会費

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昨晩も一人でスタジオにこもって2時間トランペットの練習。練習を終えて冷たい雨の中を帰宅して、郵便受けを開けた。一枚の葉書があった。

「29年目の会費を、ありがとうございました。」

幼い難民を考える会からだった。2010年度の会費納入のお礼葉書だ。小林正典さんが撮ったカンボジアの子どもたちの笑顔が写っていた。

涙が出てきた。
29年目。確かに来年で29年目だ。

1982年。たまたま、大学生の時、ボランティア活動での作業中に手に取った紙の中に幼い難民を考える会のビラがあった。
会の名前にこめられた理念に共感して、本部を訪れた。
雨の日だったと思う。細いコンクリートの階段を登って訪れた聖心女子大学の裏門のあたりのプレハブで、自分達はあなたちに寄付するお金を作って来年持って来ます、と何だか寄付の押しつけのようなことを言った。そして、個人としても会員になった。それが、幼い難民を考える会と僕の始まりだ。

幼い難民を考える会からは何度も、バザーの手伝いやカンボジア難民との色々なイベントに誘われたけれど、人見知りが激しくなっていた僕は、1回だけ何かのイベントを手伝っただけで、時たま寄付をしたり、ごくたまに総会か報告会を黙って聞いているだけの会員でしかなかった。真正会館の中か、近くかにあった当時の本部には自分が使わなくなったMacを持って何度かお邪魔したことはあった。

阪神大震災が発生したとき、すぐに被災地での児童のケアが必要になると思い、幼い難民を考える会に働きかけ、短い期間だけれども行われた同会の被災地での 活動をサポートした。今にして思えば、会には随分と負担をかけてしまった。
その頃だと思うが、理事にならないかとの誘いを受けた。けれども他人との関わり、まして国際協力、異文化の人達と接し協力し合う事への自信を失い、自分への不信が強くなっていたので、仕事にかこつけて辞退した。

そして、自信を失ったまま、その後、何年もの間、かつてのボランティアの仲間とも国際協力の世界とも関係を絶ってしまった。総会にも出席しなくなってしまったが、幼い難民を考える会への会費納入は、続けた。大学生の時の自分と今をつなぐ数少ない細い細い糸だった。

来年で29年目。ありがとうと言ってくれる人がいる。
支えて貰っていたのは、僕だった。

幼い難民を考える会
http://www.cyr.or.jp/

理 念
Children,Our Future
今日の子どもの幸せが
明日の平和な世界につながります

1980年、内戦により難民となったカンボジアの子どもたちが、
タイ国境の難民キャンプの恵まれない環境のなかで、
少しでも人間らしい環境と必要な配慮のもとで暮らせるようにとの
願いから、幼い難民を考える会(CYR)の活動は始まりました。

難民キャンプ閉鎖後は、復興をめざすカンボジアの農村で、
子どもたちが安心して暮らせる環境づくりと
女性の自立を支援する活動に取り組んでいます。

会の名前を「難民の子ども」ではなく「幼い難民」としたのは、
子どもという独立した人格を尊重する立場から、
子どもたちの成長が守られて初めて、
祖国を逃れてきた人たちの、
あるいは、その国の自立の問題に結びつくと考えたからです。

また、「考える会」としたのは、
助けるという意識がしばしば相手の自立を侵したり、
相手を管理する態勢に陥りがちであることを認識し、
難民問題をいろいろな側面から考えていきたいという
会の基本姿勢に根ざしています。

私たちはこれからも、さまざまな理由により
厳しい境遇に置かれている子どもたちの健全な成長を支援し、
その保護者たちが人間らしい生活環境のもと自立できることを
めざしてひとつひとつの小さな積み重ねを大切にしていきます。
そのことが、難民を生み出さない、
明日の大きな平和を創る力となることを、信じています。

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by YTR3320 | 2009-12-12 09:24 | 雑感